東洋陶器 菓子鉢 白磁金彩 陽刻 21cm [toyotoki bowl 21cm]
東洋陶器 菓子鉢 白磁金彩 陽刻 21cm
[toyotoki bowl 21cm]
販売価格: 1,900円(税込)
在庫数 1点
商品詳細
東洋陶器 菓子鉢
大正6年〜昭和初期(1917〜1930年代頃)のお品かと思われます。
大倉陶園の第1号製品とほぼ同時期ですね。
菓子鉢の他、惣菜、サラダ鉢としてもご使用頂けます。
※ビンテージ品ですが、金彩のスレ、ハゲが見られること、ノリタケ製品と質的には変わりませんが、(おそらく知名度から)市場価格が低めなため、価格を低めに設定しております。
器表面は、傷、スレほぼ見られず、きれいなお品です。
**
東洋陶器株式会社(toyotoki)は、ノリタケのグループ会社で、大正6年(1917年)に設立されました。
現在「TOTO」のロゴで知られる、TOTO株式会社の前身名です。
ノリタケ(当時は日本陶器合名会社)の、代表社員であった大倉和親が社長に就任し、まだ市場の小さかった衛生陶器と並行して、国内・輸出向けの陶磁器食器を生産していました。
大倉和親は、東洋陶器設立の2年後、大正8年に、父の孫兵衛と共に大倉陶園を設立しています。(法人化は戦後の昭和25年/1950年)
「美しさと実用的な強さを兼ね備えた、欧州の一流品に劣らない高火度焼成の磁器をつくりたい」
孫兵衛は「全く商売以外の道楽仕事」と記し、日本初の高火度焼成の研究に取り組みました。試行錯誤を繰り返し、大正11年、大倉陶園の第1号製品「白磁薄肉菓子鉢」が完成しました。
東京神田の絵草紙出版をしていた大倉孫兵衛の審美眼は確かと言われ、ノリタケの「良品主義」への影響は大きかったそうです。(『ノリタケ100』株式会社ノリタケカンパニーリミテッド より)
東洋陶器は昭和44年(1969年)に食器生産を終了しました。
翌昭和45年、社名を「東陶機器株式会社」と変えました。そして本業へ専念するようになりました。
1917年から1969年(大正6年〜昭和44年)の52年間だけ、ノリタケ、大倉陶園と並行し、東洋陶器の食器が作られたのでした。
**
□サイズ 口径 約21cm、 最大幅 約22.5cm、 高さ 約5.4cm、 重量 約646g
□状態 金彩のスレ、ハゲあり。高台に微細な汚れあり。
□状態ランク V ビンテージ
(送料、状態ランク詳細は、トップ「当店からのご案内」「ご利用案内」にございます。)
大正6年〜昭和初期(1917〜1930年代頃)のお品かと思われます。
大倉陶園の第1号製品とほぼ同時期ですね。
菓子鉢の他、惣菜、サラダ鉢としてもご使用頂けます。
※ビンテージ品ですが、金彩のスレ、ハゲが見られること、ノリタケ製品と質的には変わりませんが、(おそらく知名度から)市場価格が低めなため、価格を低めに設定しております。
器表面は、傷、スレほぼ見られず、きれいなお品です。
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東洋陶器株式会社(toyotoki)は、ノリタケのグループ会社で、大正6年(1917年)に設立されました。
現在「TOTO」のロゴで知られる、TOTO株式会社の前身名です。
ノリタケ(当時は日本陶器合名会社)の、代表社員であった大倉和親が社長に就任し、まだ市場の小さかった衛生陶器と並行して、国内・輸出向けの陶磁器食器を生産していました。
大倉和親は、東洋陶器設立の2年後、大正8年に、父の孫兵衛と共に大倉陶園を設立しています。(法人化は戦後の昭和25年/1950年)
「美しさと実用的な強さを兼ね備えた、欧州の一流品に劣らない高火度焼成の磁器をつくりたい」
孫兵衛は「全く商売以外の道楽仕事」と記し、日本初の高火度焼成の研究に取り組みました。試行錯誤を繰り返し、大正11年、大倉陶園の第1号製品「白磁薄肉菓子鉢」が完成しました。
東京神田の絵草紙出版をしていた大倉孫兵衛の審美眼は確かと言われ、ノリタケの「良品主義」への影響は大きかったそうです。(『ノリタケ100』株式会社ノリタケカンパニーリミテッド より)
東洋陶器は昭和44年(1969年)に食器生産を終了しました。
翌昭和45年、社名を「東陶機器株式会社」と変えました。そして本業へ専念するようになりました。
1917年から1969年(大正6年〜昭和44年)の52年間だけ、ノリタケ、大倉陶園と並行し、東洋陶器の食器が作られたのでした。
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□サイズ 口径 約21cm、 最大幅 約22.5cm、 高さ 約5.4cm、 重量 約646g
□状態 金彩のスレ、ハゲあり。高台に微細な汚れあり。
□状態ランク V ビンテージ
(送料、状態ランク詳細は、トップ「当店からのご案内」「ご利用案内」にございます。)